閉鎖病棟の放置パソコン
閉鎖病棟内のホールから繋がっている、OT室(作業療法室)という広めの部屋が在った。
規定の時間のみ、ホールとOT室を隔てるゴツい扉が開錠され、
患者がホールとOT室を、ほぼ自由に行き来できるようになる。

作業療法士法では、身体又は精神の障害に対し、応用的動作能力又は
社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を
行わせることを作業療法の定義としている。(wikipediaより)

つまりは手芸・工芸などの「作業」を患者さんが行い、
社会に適応できるよう能力の回復をはかる療法のことだ。
これを作業療法士が指導・協力して、患者がOT室で行う。

M病院のOT室では作業療法だけではなく、音楽療法やラジオ体操、ウォーキングなども
曜日ごとに決められたスケジュールで行われていた。
入院中に、ほぼ全ての療法に一度は参加したので、感想を書いてみる。
尚、手芸・工芸に必要な材料は病院側が用意してくれる。
受講料は病院によって違うが、一日100円前後だった。

・ウォーキング
外へ出て歩く訳ではなく、OT室で机を真中に寄せてその外周をグルグル30分くらい周るだけ。
10:00辺りから行われていたので、眠気覚ましにちょうど良かった。
歩きながら踊っている人が居たが、そういう人も居る場所なので気にしてはいけない。

・フラワーアレンジメント
簡単な生け花。花を好きなように切って、水分を含んだスポンジみたいなものに
突き刺していく。
花びらを食った人が居たが、そういう人も居る場所なので気にしてはいけない。

・革工芸
厚さ数ミリの大きな革の材料を、好きなようにカットして
穴を空け、縫い合わせて色を付け、煙草ケースやリストバンドなどを作成する。
革を食う人はさすがに居なかった

・ラジオ体操
一度参加したが、第一が終わった所で力尽きて、第二が始まる前にホールへと逃亡した。

・エアロバイク
漕ぐ。それだけ。

・手芸工作
紙とか毛糸とか使って何か作る。

・サンドバッグ
たまに抱きついている人が居た。叩け。

まぁようするに、こういう事をする部屋なのだが、そのOT室の片隅に一台のパソコンを発見。
見る限りLANケーブルも繋がっていないし、無線LANの機材も見当たらない。
もしかして56kモデムかISDNかなぁと思ったがそれも付いていない。

閉鎖病棟だから、外の世界と隔離されていてネットには繋がらないようになっていた。
しかも長いこと使われた形跡が無かったので、どうしてもHDの中身が気になる
看護士の許可を得て、そのパソコンを起動してみた。
昔、作業療法か何かに使われていたのだという。

うろ覚えだが、そのパソコンのスペック
・OS WINDOWS98SE
・CPU ペンティアムV 600MHz
・メモリ 64M
・HD 8GB

と、見た感じ99年〜2000年辺りのパソコンのスペックだった。
何か面白いファイルやソフトがHD内にあるかどうかチェックすると・・・

NEORAGEXへのショートカットがデスクトップにあった。
これはNEOGEOのゲームのエミュレータである。
期待して実行すると、”ショートカット先のプログラムが見つかりません”と出てしょんぼりする。
諦めきれずWIDOWSのファイル検索で探すも、本体もROMも見つからず。
他にもEPSXEやMAMEへのショートカットもあったが、全滅。

諦めて他のファイルを探す。

以前入院していた患者さんの日記のテキストファイルが、
何故かCドライブのWINDOWSフォルダに入っていた。
デスクトップやマイドキュメント内に保存しておくと、誰かに消されると思ったのだろうか?

テキストの内容は、一度目〜三度目の入院までの経歴など。
一度目は普通に入院。二度目は温泉旅行中に、
何かの病気の発作を起こし救急車でここへ運ばれて、そのまま入院させられてしまったそうだ。
一回の入院ごとにそのテキストファイルを更新していくマメな人だったみたいだ。
おそらくこれを見たのは本人以外では俺が初めてだと思うので、
テキストの最後に「すみません、勝手に読んじゃいました しゃぶ」と付け足して上書き保存して
そっとWINDOWSフォルダ内に日記を戻す。

他には特に面白いファイルは見つからなかった。

つまらないので、DOS窓を起動してコマンドを入力して遊ぶ。
自分自身にpingを打って喜ぶ。
5分で飽きる。WINDOWSをシャットダウンしてホールへ戻った。


最近、ホールにある喫煙所の横に何かの張り紙が張り出された。
内容は”ふれあい祭りのご案内”だ。
会場:M病院前
費用:参加費無料
屋台(やきそば、カキ氷、アクセサリショップ、ノンアルコールカクテル等)が出されます。
品があたる抽選会も実施されます!
参加申し込みはナースステーションまで!

保護入院患者でも、外出と同じ条件で、保護者が同伴であれば祭りに参加が可能だそうだ。
前にも書いたが、入院生活は暇で暇で仕方が無いので、参加することにした。

そしてナースステーションにて申し込みを済ませ、祭り当日を迎えた。
日差しが強く、30度を越えていただろう。
2病棟(閉鎖病棟)内で会った人もちらほら見かける。

ん・・・
T氏だ。(F先生に文句言ってその後すぐ3病棟に送られた人)
T氏がビニールシートの上に座って焼きそば食ってる。久々に見たなぁ。
嬉しくて話し掛ける。

俺「Tさん久しぶり、元気だった?」
T氏「・・・」
黙々と焼きそばを食べ続けるT氏。
無視というか、俺が声かけたことに気が付いていない感じがしたのでもう一度声をかける。
俺「Tさん?」
T氏「・・・」
今度は反応があった。無言だけど。顔がこっちに向いて目が合った。
T氏「・・・あぁ、2病棟に居た兄ちゃんか・・・」
T氏は何か元気が無い。

よく見ると焼きそばを食べる動作も非常に遅いし、何か目が虚ろだ。
会話の反応もかなり鈍い。
2病棟であれだけ元気だったのに、3病棟で一体何があったんだろう。
やはり2病棟に居た時にF先生に反抗したせいで、
その後3病棟で、悪い扱いを受け続けていたのだろうか?

ほぼ同時期に3病棟に行ったA氏のことをT氏に聞いてみると、
A氏は相変わらず占い等を他の患者さんとしていたりして元気だそうだ。

3病棟がどんな所なのかは、何か聞く気になれなかったのでT氏から離れた。
もうすぐに退院する身なので、M病院のことをこれ以上詳しく知る意味もないし。

15年位の間、M病院にお世話になっているという某恋愛妄想のあのお方でさえ
3病棟のことはわからない。と言っているのだ。
もしかしたら、3病棟から出てきた人は居ないのかもしれないね。
または出てこれたとしても、話のできる状態では無くなっている・・・とか。

気を取り直して、屋台を周ってみる。

焼きそば=祭りの後、あれはゴムそばだった。と呼ばれてしまうほどの味だった。
ノンアルコールカクテル=ただのジュースだった。
アクセサリーショップ=作業療法の革工芸を使用して作業療法士の人が作った物だった。
             出来栄えは良かったのだが、アクセサリーを付けるような柄ではないので
             特に買わなかった。
抽選会=はずれた
      1等賞品は、マイナスイオンドライヤー。豪華か?これ。

適当に食って歩いて寝ていると、じきに祭りが終わった
思えば初夏に入院したので、今年の夏らしい思い出が一つも無かったので良かったかも。


そして、そろそろ退院だ。


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