●車体に飛燕疾風脚
さて、前回しぶしぶながらも心療内科及び精神科への通院治療を親が了承してくれ、
住居と同市内に存在するS病院へ予約を入れ、診察を受ける事になった。

俺自身は、ようやくこの落ちた精神状態が治療によって改善される
というよりも、
巷や数多くのメンタル系サイトで薦められている向精神薬で、ようやく気持ちよくなれる
というように、薬を服用し始める前からもう薬物依存の傾向を示し始めていた。

診察室から名前を呼ばれ、入る。
迎えてくれたのは年配の男性精神科医
眼鏡をかけ、常時白いマスクを装備しており、雰囲気もあり、いかにもベテラン医師な貫禄があった。

問診に対して一つ一つ丁寧に答える。
内容は・・・特に当り障りの無いものだった。

状態と家族構成や身近な人間関係のことを聞かれ、
25分程度で診察が終わり、会計を済まして調剤薬局へ寄った後、帰路につく。

医師は「まだじっくり診ていないため、今の段階では病名は付けられない」とのこと。
とはいえ、カルテ上では病気では無い(病名が付けられない)人に
薬物療法を行う訳にもいかないらしく、とりあえず適当な病名(神経症だったかな)を
付けて薬を処方するから、それを飲んで気持ちを楽にしてください。とのこと。

薬の種類はSSRIとかいう比較的新しいタイプの坑鬱剤らしい。
初診時の処方はそれだけだった。
二回目の診察までの一週間、毎日3回服用するが、特にまだ効果は感じられなかった。
それどころか逆にどんどん調子が悪くなっていったので
二回目の診察が待ち遠しくなっていた。

そして二回目の診察
先週よりも調子が悪くなったことを伝えると
医師「そこまで調子が悪いのでしたら、入院しますか?」と聞かれたので、即座に はいします と答える。

二回目の診察が終了後、一旦帰宅し入院の準備をして翌日また病院へ。
最上階である5Fの一番端のベッドを借りる。

このS病院には閉鎖病棟は無く、制限があまりない。
喫煙所自体が外にあるくらいで、病院の前に出るくらいなら許可も必要ない。
もちろん回診の時間なんかはちゃんとベッドで待機していないとならないが。

まぁ、かなりオープンな仕様になっているのだ。

一日目
この日の午後から病院で一週間過ごすことになる。

夕食後から病院での投薬開始、出された薬を見てみると、
ここ一週間飲み続けたSSRIに加えて、一種類薬が増やされたようだ。
この頃、ようやく薬が効き始めてきたのか、夜頃には気が楽になった気がする。
病院に入院した、という安心感もあったのだろうけど。

この程度の軽い処方で十分だったのでは無いだろうか?

まぁ、このように入院してすぐのことはよく覚えている

二日目
病院に入院したんだから、外来では不可能な本格的な治療をするとか言われて
数種類の薬が増えた。
なんだ、本格的な治療って。薬が増えただけで他には特別何も行っていないのだが。

三日目
この日も夜から薬が増えた。種類ではなく量が。それも半端なく。

たしかに気分の落ちは無くなった。が、何か逆に上がりすぎて高揚してきた。
何かいいことがあった訳でも無いのに、上機嫌。ひたすら機嫌が良く気分が良い。

もちろん向精神薬が効いているからなのだが、気分が良すぎて逆に危ない、
もう、勢いで何をしでかすかわからない。

向精神薬の効き目が出るのは早いんだな、と思ったが
よくよく考えれば十日前からSSRIを飲み続けてきたのも手伝ったのだと思う。

外来の時の少なめな処方にして、
後は薬物療法以外の治療法と合わせて治療した方が良いのではないか?
などと冷静に考えられない程に。

もうこの辺りから躁状態
薬による気分の異常な高揚も躁という状態に含めるのかは知らないが、
状態・病状はそれに酷似していた。

記憶力も悪くなった。この日以降、S病院で何があったか断片的にしか記憶に無い

四日目〜六日目(細かく思い出せないのでまとめる)
喫煙所から自分の病室に戻る際に、見知らぬおばさんの患者さんに呼び止められる。
今の君の主治医は危ないから替えてもらった方が良いのだという。

しかし躁状態向精神薬最高だと信じて疑わない状態の俺は、満面の笑みでお断りした。
それっきりそのおばさんとは会っていないのだが、おそらく俺と同じように向精神薬の大量処方によって
酷い躁状態になった
患者さんを見てきたのでは無いだろうか?

といっても主治医だけが悪いわけでも無く、途中からは自分から「もっと薬を増やして下さい!
なんて主治医に言っていたらしい。
らしい、というのは自分で言っておいて覚えていないから。後から親に聞かされたのである。

退院日
一週間の入院が終わり、親が迎えに来て躁状態のまま退院する。
薬の量はこれでもかってくらい大量だったはず。
帰宅後、学校へ復学・・・は一切せず遊びほうける
なんかもう何していたかほとんど記憶に無い。
といってもさすがにインパクトのある出来事は覚えている。

たしか些細な事で激怒して親の車に飛燕疾風脚もどきを叩き入れた。
他の事はあまり詳しくは書きたくない。(カップめんを生で食う、しかも外で、とか・・・)
とにかく病院に居た時よりも酷い躁状態

親はS病院の主治医に、薬を減らすよう頼んでいたらしいが聞き入れてもらえなかったようだ。
それならば他の病院を紹介してくれと言った所、紹介状を書いて頂けたらしい。

紹介先は、自分の医療保護入院先のM病院である。

そしてS病院退院後、たった二週間で今度はM病院に入院することになったのである。


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